苦手なことは頑張るな!得意なことだけやればいい!2

子育て

苦手なことは頑張らず、得意なことを極める生き方について、前回記事にしてみましたが、その続編です。

苦手なことを克服しながら、平凡な人生を過ごす生き方と、得意なことに集中し、極める、尖った人生を過ごす生き方、どちらが幸せなのでしょう。

『苦手克服』と『得意を極める』

それぞれのメリット・デメリットを考えて見ます。

苦手克服のメリット・デメリット

評価(成績)が上がる
周囲の人から頑張れと言われなくなる
知識・技量の幅が広がる
コンプレックスが無くなる
習得に多くの時間がかかる
頑張ることが面白くない
得意な人には勝てない

得意なことを極めるメリット・デメリット

第一人者になれる
生計を立てられる
名声を得られる
頑張ることが面白い
苦手なことが残る
成績が下がる

メリット・デメリットから見る、『苦手克服』と『得意を極める』については、前回の記事で考察しました。

苦手なことを放置してもあまり問題にはなりません。
得意なことを極められれば、楽しく、食べていくことが出来ます。

時間には限りがある

苦手なことを克服するには、多くの時間と労力が必要です。
しかし、時間には限りがあります。

限りある時間を、苦手なことの習得に費やして、少しの結果を得ることは、どの程度有意義なことなのでしょうか。
同じ時間を、得意なことの習得に充てた場合、他の人より多くの結果を得ることができます

限りある時間を何に使うのが、最も有効な時間の使い方なのか、よく考える必要があります。

苦手克服しても、人並み程度

一生懸命努力して、苦手なことを克服したとしても、所詮人並み程度になるだけです。
その道のスペシャリストになることは、ありません。

何でも人並みであれば、とりあえず危機感は持たないと思います。
しかし、皆と同じでは、何のメリットもありません。
普通の人というだけです。

一生懸命努力して、普通の人です。

努力に見合った評価は、されないのです。

人並みが評価の基準

学校の成績はA評価の数が多いと、褒められて、C評価があると、もっと頑張りましょう、となります。
その他のことも、大勢の人が出来ることが出来ないと、もっと頑張りましょう、となります。

人は、人並み(平均)を基準に評価されます。

普通は価値されない!

もし、全てB評価なら、普通の人なので、『可もなく不可もない』という評価になるでしょう。

それで良いのでしょうか?

大勢の人と、同じことが普通にできるということは、誰がやっても同じ結果が得られるという事であり、個人の存在価値としては評価されません

評価結果の一面性

評価結果というのは、決められた評価基準に沿って評価した結果、ということです。
『決められた評価基準に沿って評価』というところがポイントで、あらゆる面から評価した結果ではありません
評価基準に沿った対策を行えば、見かけ上の評価を上げる事が出来ます。

試験勉強と言われる、目先の評価のみを目的とする勉強が代表的な対策としてよく行われ、皆さんも経験があることでしょう。

社会に出てからも、勤め先で査定評価を受けることになります。
ここでも、決められた評価基準に沿って評価されるので、良い評価を得るために、評価基準に沿った対策を行うことになります。

人には良く評価されたいという欲求があるので、どうしても、要領よく高評価を得られるような言動をとってしまうのです。

とはいえ、あらゆる面を考慮した、真の評価というものは、存在しません。
その様な評価は、実現不可能なのです。

一面的な評価結果に、どの程度の価値があるのか、疑問が沸いてきます。
高評価を得る為に、一時的な努力をしても、将来何の役にも立たないのではないでしょうか。

評価基準の必要性

人を評価すると、必ず不平不満がでます。
「私の方ができる(頑張ってる)のに、Aさんの方が評価が高いのは納得できない」「平等に評価されていない」など、評価の基準に対するものが大多数を占めます。
何をどう評価したのかが分からないと、当然なのかも知れません。

また、評価する側も、何をどう評価すれば、平等な評価に繋がるのか、悩んでしまいます。

これらの問題を解決するために、一律の評価基準を作成し、公表するのです。
評価基準を作成することで、評価の透明性や平等性が確保されると共に、どの様な人材を求めているのかを提示することにもなり、評価される側の人の考え方や言動の方向性を合わせることができます。
また、評価する側にとっても評価し易くなり、頭を悩まさずに済むようになります。

この様に評価基準は、評価する側と、される側、両方のニーズによって作成されます。

評価基準のジレンマ

評価する側は、要求する資質を漏れなく評価基準として反映しなければなりません。
しかも、全ての人を同じ評価基準で平等に評価する(評価できる)必要があります。

しかし、このような評価基準で高い評価を得られる人とは、どのような人材なのでしょうか。
様々なことが、人並み以上のレベルで出来る、いわゆる優等生と、小手先のテクニックで見かけの評価を高めることが出来る、要領の良い人が高評価を得ることになりそうです。

高学歴の人や、大企業で出世する人を見ていると、その傾向が良く分かります。
尖った人材は、一般的な評価において、高い評価を得にくいのです。
ノーベル賞をとるようなスペシャリストが、日本に少ない原因が、ここにありそうです。

人の持つ多様性のようなものを、適切に評価することは難しいのが現状です。

人を切磋琢磨させ、成長させる為に評価という仕組みがあるはずですが、評価基準があるが故に、さまざまな可能性を評価しきれず、結果、大きく成長する可能性を潰しているとすれば、残念なことです。

低評価なのに役に立つ?

尖った人生を選択すると、一般的な評価で高く評価されることは少なくなります。

『変わった人』『オタク』といった評価をされる事が多くなり、普通の人とは違った人という評価になるでしょう。
それは、周囲の人から好感を持って受け入れられるのか、変人扱いされるのか、意見の分かれるところかと思います。

高く評価されなくとも、その専門性は、必ず世の中に必要とされます
なぜなら、解決が難しい問題にぶつかった時や、今以上に物事を良くしたい、イノベーションを起こしたい場合、何がしかのブレイクスルーが必要で、そのためには、その分野に関する人並みはずれた知識・技量・考え方が必要になるからです。

平凡な人生を選択した人が、革新的な発想で問題を解決できるとは考えられません。
それが可能なのは、尖った人材だけです。

その人にしかできない、代わりのいない人材、それが尖った人生を選択した人なのです。

高い評価を得ていても、イザという時に役に立たない人と、評価は低いけれど、イザという時に役に立つ人、どちらの人になりたいですか?

私は、尖った人生を選択しました。

得意なことを他人以上に頑張って、より高いレベルにしていければ、自身の可能性に新たな未来が見えてくる気がするからです。
尖った人生を選択し、進んで来られたことを幸せに感じています。
また、そんな人生を選択した私を支持し、暖かく見守ってくれている人たちに、大変感謝しています。

あ!でも、苦手なことを克服する努力も少しはしました。
尖った人生のすばらしさに、もう少し早く気づいていれば、そんな努力をすることも無く、もっと尖った人材になれていたのかも知れません。(笑)

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